「人に話すことがない」ことで卑屈になる必要などない

 

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先日、「三連休何してた?」と唐突に人から訊かれたのですが、ちょっと考えたのち、特に話すようなこともないなと思い至り、「いえ、特に……」と答え、そこで会話が終了しました。以前はこういった質問に対し常にうまく答えられない自分がとても嫌でしたが、実は今ではそうでもなくなりました。

 

「話すことがある」ということは、何らかの消費活動だとか人付き合いだとかをしているということとほぼイコールなのではないかと思うのです。勿論それが悪いことだとは思いませんが、消費活動や人付き合いにおいては「瞬間の楽しさ」はあっても、生きる上での根源の喜びに触れるようなことは少ないのではないかと思うのです。これはあくまで私の感覚なのですが。

 

私の中では今、中国語学習がマイブームです。日々淡々と机に向かって勉強したり、ネット上にある中国語の番組を観たりしているだけですから、人に話して相手を面白がらせられるようなことはそうそうありません。しかし、勉強を継続すれば着々と知識が増えますし、新たな発見も生まれてきます。

 

知識を獲得したり何かを発見したりすると、じんわりと体の奥底から湧き上がる喜びが生まれてくるように私は感じるのです。これは取り立てて人に話すようなものではないのですが、自分自身にとって非常に大事な感覚であると私は思います。だから、「人に話すことがない」ことで卑屈になる必要などまったくないのです。「人に話すことがない」ときには、自分自身にとってかけがえのない時間を過ごしているのですから。