「般若心経」についての本を読んでみました

 

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ペンタブで、手ブレ補正強めにして書くと筆っぽくなりますよね。

 

それはさておき、先日、般若心経についての本を読んでみました。 

 

般若心経 (FOR BEGINNERSシリーズ イラスト版オリジナル 22)
遠藤 誠
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私は、これまで般若心経というものについてほとんど知らず、「有名なお経」だという認識でしかありませんでした。
 

 

般若心経とは

元々は古代インドで作られた経典です。それがシルクロードを渡って中国へと伝わりました。いま日本で広く知られている般若心経は、7世紀頃に玄奘三蔵法師が漢訳したものであるようです。 

 

般若心経の核となる部分

般若心経は、266文字*1という非常に短い経典です。だから、もう既に般若心経それ自体がぎゅっと凝縮したエッセンスであるのですが、もし般若心経の核となる部分を一言で表すとしたら「空」ではないかと思います。

 

 「空」とは

「空」とは、「有」と「無」の二元論を超越した概念のことです。

 

と言っても、イメージがつきづらいかもしれませんね。

 

基本的に、人間は「自我のかたまり」になってしまっています。「他人から愛されたい」とか「高い地位を得たい」とか「大金を得て豪遊したい」とか、そういうことを願っている人が多いように思います。そして、それらを得られないことにしばしば怒りや悲しみを露わにしていますよね。

 

上述のようなの人々は、自身の存在を絶対的なものとして捉え、世の中の様々なものに執着している状態なのだと思います。自身の存在や世の中の物事は絶対的だとか不変で普遍の価値があるのだとか考えるのが「有」の思想なのだと思います。

 

一方で、この世界における人間の存在には意義や目的などない。不変で普遍の価値などない、というふうに考えるのが「無」の思想でしょう。これこそが仏教の思想……かというと実は必ずしもそうではないんです。

 

確かに、多くの人間は「有」のほうに偏っていますから、「無」の世界を学ぶことは重要です。だから、仏教において「無」という言葉がよく出てくるのだと思います。

 

しかし、
「無」こそ正しい。自分の存在には意義も目的も価値もないんだから、存在している意味がない。生きている意味がない。
というのはあまりに極端すぎる考え方です。

 

そこで、仏教で目指しているのは「空」なのです。あるのでもなく、ないのでもない。サラサラと流れる小川のように、ふわふわと浮かぶ雲のように、あるがままに生きる。「無」を知ることは、「空」へ至るためのステップに過ぎないのだと思います。

 

世の中、二元論では説明できないことで溢れていますから、
二元論的考えは捨てて、あるがままに認識してあるがままに行動することが大切
だということを仏教は教えてくれているのかなと私は思っています。

 

*1:タイトルを除いた本文のみの字数。ラストの「般若心経」は含めて数えた場合。