「本当の自分」を取り戻そう

 

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今日は、こちらのエントリに関連したことを書こうと思います。 

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「現実」に適応しようと頑張っている方々は多いのではないでしょうか。かつての私も、過剰とも言えるほどに頑張っていたように思います。

 

でも、「現実」に適応しようと頑張れば頑張るほど息が詰まるような苦しさが生まれてくる。そんな気がしませんか?

 

それは、「偽りの自分」が肥大化していってしまい、「本当の自分」を見失ってしまっているからなのです。

 

適応しようとすればするほど、「偽りの自分」が育っていく

人間が生きる上で、家庭、学校、職場などのコミュニティに所属することは避けられません。そして、それらのコミュニティの中で自分の存在を認めてもらうには、コミュニティにおいて力を持つ者あるいは多数派に従わねばならない――そうすると、それらと自分との間に齟齬があればあるほど、「本当の自分」の周りを「偽りの自分」で固めていってしまうことになるのだと思います。

 

自分の外側を「偽りの自分」でガチガチに固めていく。どんどんどんどん固めていく。するとある時、「本当の自分」が窒息して、もがき苦しむ時がやってきます。

 

私自身のことを振り返って見ると、身体に異変が生じたときはいつも「本当の自分」が窒息している状態だったように思います。

 

「本当の自分」を取り戻そう

「取り戻そう」なんて言うのは簡単ですけど、ガチガチに固められた「偽りの自分」の中から「本当の自分」を掘り出すなんてどうしたらいいのか……となってしまうかもしれませんね。私もそうでした。

 

私は、4~6歳の頃を思い出したときに、「ああ、なんかあの時期は楽しかった気がするな~」と気づいたのが良いきっかけになりました。

 

私は幼少の頃、喘息を患っていたりよく気管支炎になったりと体が弱く、毎朝粉薬を飲んでいました(しかも、飲むのが下手くそで結構な頻度でゲーゲー吐いてた)。季節の変わり目には大きく体調を崩し入院するのが恒例。健康面では決して恵まれてはいませんでした。

 

「それでも楽しかった印象が残っているのはなんでだろう?」と考えてみると、
毎日ひたすら自分の好きなことに黙々と取り組んでいたから
だという結論に行き着きました。

 

人に合わせたりなんてあんまりしていなかったんですよね。寝たいときに寝て、起きている時は自宅の北側にある薄暗い和室で本を読んだりパズルをしたり積み木で遊んだりぬいぐるみで遊んだり公文式のドリルを解いたりプラレールを組み立てたり……などなど。自分の好きなことにたくさん時間を割いていました。

 

そんなことを思い出して、
「ああ、あのときは『本当の自分』の純度が極めて高かったから楽しかったんだな」
と思ったのです。

 

私にとっての「本当の自分」は上述のようなものであったのですが、「本当の自分」がどんなものであるかは実に人それぞれだと思います。私は世間的に見たらだいぶ変わった人だと思うので、上述のエピソードそれ自体はあんまり参考にはならないかもしれません。

 

ただ、もしもこのエントリが、「本当の自分」を見失ってしまった方にとって少しでも助けになれたとしたら大変嬉しく思います。

 

 

(参考文献) 

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)