「現実」ってそんなに重要なことなの?

 

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「キミは将来のことを何も考えてないのか……。もっと現実を見ろよ」

 

……なんてこと、誰かに言われたことある人も多いのではないでしょうか。
しかし、そういう人が言う「現実」って一体何なのでしょうね。

 

「現実」という言葉に対する違和感

例えば、私は
・結婚
・自分の子供
・出世
・マイホーム
などには特にこだわりがありません。なので、
「結婚しないの?」と訊かれたら「どっちでもいいです」
「子供はいらないの?」と訊かれたら「どっちでもいいです」
……というような返答になります。

 

それに対し、質問してきた人は
「キミは将来のことを何も考えてないのか……。もっと現実を見ろよ」
などと言ったりします。

 

そういう人と議論をしてもおそらく平行線になってしまうと思うので、私は
「ウィヒヒ……スミマセン」
というコミュ障的とも見える対応をするのですが、別に私自身何も考えていないというわけではありません。

 

ただ、彼らの言う「現実」という言葉に違和感があるだけなのです。

 

「現実」と「ファンタジー」に優劣はない

彼らの言う「現実」という言葉の使われ方の共通項を探っていくと、単に
多数派の人が重視している事柄
でしかないことが浮かび上がってきます。

 

私は、多数派に押し流されながら人生を進めていくのが最適解とは思いません。人間それぞれどこかしらにマイノリティ性を抱えているものですから、自分に合った道を切り開いて生きていくことこそが豊かな人生に繋がると思っています。

 

私は、本やブログや絵や音楽やスポーツや食事や漫画やアニメやその他様々なことを通じて、五感で何かを感じ取り、そこから思索を深めていくことが好きです。

 

漫画やアニメなどは、「現実」からは程遠い「ファンタジー」の世界と言えるかもしれません。しかし、私は「現実」と「ファンタジー」、その両者に優劣はないと考えています。「ファンタジー」から何かを感じ取って、それが自分の身になったのであれば、それはとても素晴らしいことじゃないでしょうか。

 

「ファンタジー」から感じ取ったことが、自分の考えや行動に変化を与えたのならば、それは自分の心にとっては十分現実化しているとも言えると思います。

 

だから、「現実」なのか「ファンタジー」なのかにこだわる必要など全くなくて、ただ自分が心から「良い……」と感じることをすればいいのです。

 

 

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

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