【仏教(浄土真宗)】「歎異抄」が面白い ~悪人正機説とは~

 

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私は今年に入ってから仏教に興味を持ち始めた。

 

それより以前に、会社の人から「修行僧のようだ」と評されたことはあったが、私は仏教に関してはまったくの無知であったのだ。

 

しかし、「修行僧のようだ」と評されるだけあって(?)、仏教について知るにつれ、私はどんどん仏教の魅力にハマってきている。

 

これまでに書籍等で学んできたのは、ブッダの教え(原始仏教)と禅だ。  

shugyou-nikki.hatenablog.com

 

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今週は「歎異抄」について学んでみた

「歎異抄」は、親鸞の教えが記されたもので、親鸞の教えは「他力本願」。「他力本願」というのは念仏を唱えて阿弥陀様にひたすらすがるもの……というくらいの、非常にふんわりとした知識しかなかった私であるが、今週はこちらの本を読んでみた。

 

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こちらの本は「歎異抄」の第10条までの内容について解説されたものだ。

 

「歎異抄」は、親鸞の弟子である唯円師が記したものであるが、第10条まで(前半)は親鸞の教えをそのまま記した内容になっている。そして、第11条以降(後半)は、親鸞が亡くなって以降に教えが誤った形で伝わってしまっていることが多いのを嘆いている……という内容のようだ。「歎異抄」という名称は後半の内容(異なっていることを歎く)からきている。

 

「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」

これは「歎異抄」の中でも有名なフレーズだ。この思想のことを「悪人正機説」とも呼ぶ。私もなんとなく聞いたことがあった。 現代語訳すると、

「善人ですら救われるのだから、悪人はなおさら簡単に救われる」

という感じだろう。今までこれは正直意味が理解できていなかった。なんで悪人のほうが簡単に救われるのだろうか?

 

その答えは、ここでいう「善人」と「悪人」の解釈が、我々が一般的に考えるそれとは違う、というところにある。

 

法然や親鸞の言う「善人」「悪人」とは

「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という言葉は、親鸞の師匠である法然が言い出したものだそうだ。それをそのまま親鸞が引き継いだという形になる。

 

結論から言ってしまうと、法然や親鸞の言う「善人」「悪人」とは、以下のような解釈なのだ。

善人:「自分のやっていることは何一つ間違いがない」と考えており、悩みがない人

悪人:「自分は煩悩のかたまりで全然ダメだ」考えており、悩んでいる人

つまり、これはあくまで本人が主観的に自分が有能な人間(善人)だと思っているか、それとも無能な人間(悪人)だと思っているかということで、客観的評価の話ではない。

 

その定義でいうと、善人は「自分の力で何でもできる」という傲慢さを抱えているから、なかなか阿弥陀様にすがろうとしない。その一方で、悪人は「自分は無力だ」と感じているから真っ先に阿弥陀様にすがろうとする。だから悪人が先に救われるのだ。

 

私はここから、「謙虚さ」の大切さに思い至った。自分の周囲にいる人たちを思い浮かべて欲しい。いつも傲慢な態度をとっている人と、傲慢になることなく真摯な態度をとっている人だったら、どちらに協力したいと思うだろうか。大半の人はきっと後者に協力したいと思うだろう。翻せば、いつも謙虚に生きていれば、困ったときに手を差し伸べてくれる人が現れてくれる可能性が高いといえるのではないだろうか。

 

自分に自信がないのは悪いことではない。自分の無力さを知り、謙虚に物事にあたっていればきっと救いがあるだろう。

 

参考

henmo.net

こちらのエントリ、とてもわかりやすいし面白かったです。 

 

 

www.shugyou-nikki.com

第6条についても書きました。